仏  話

速成寺法話集
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ほうほうなんぞ法

宗務の途中、おなかが減ったので

法衣を着たままモスバーガーの

ドライブスルーに入り

ふと考えた...

「坊さんって、なんなんだろう?」と

頭を剃って法衣を着ているから

坊さんじゃない。

いま僕がしていることは、

葬送儀礼にまつわる

宗教の文化を通しての

特殊なサービス業ではないか?

御布施とかいってカッコウ付けていても

実際は、支払い。

「布施の心」を伝えることもない。

とはいえ、かっこうをつけて、

出来もしないきれい事を並べても、

真実は見えてこない、

何よりも生きていけない。


そんな中、仏弟子の本懐は、

法を説くことだと思った。

ちなみに、この仏法の

「法」とは、この世の

普遍的なルールを意味する。

たとえていえば、

引力のようなもので、

ニュートンは引力を

発見したけれど

引力はその前から存在した。

お釈迦様は

法を説いたけれども、

それは、お釈迦様が存在しようが、

神様が存在しようが関係なく

この世に普遍的に存在する道理

だから、法に何の秘密も無い。

仏法を学びながら、法を見失う人がいる。

法はありのままの真実なのだから

目の前にすれば、

説明する必要も、納得する必要も無く

あれこれと理屈をつけては

専門用語をならべ立てて、

かえってわかりにくくして

見失ってしまう宗教関係者の

なんと多いことか。

真実であれば、すべての人が

「ああこれは真実だ」

と、当たり前にわかるものだ。

ちなみに仏とは本来

「気づいた人」という意味

釈尊に拝んだ人に釈尊は、

「私を拝む必要はない。

 あなたも仏になりなさい。」

といったという。

人は苦しいから、智慧がわく

苦しいから、

気づくことができる。

拝んでも仏には成れない。

絵のうまい爺さんが、子供のころ

戦争で疎開したとき、みんなから

「食べ物の絵を描いてくれ」と

しきりにせがまれたという。

誰もが夢を見たいのです。

でもそれは、慰めにはなっても、

本当の救いになりません。

苦しみにつかまったとき、

人は倒れる、けれど苦しみを

乗り越えたとき、それが

自分の智慧と力になる。

この世は、苦しみだらけの

油断のならない泥の世界だけれど

泥の中に咲く

蓮の花のように生きなさい


と仏は教えてくれる。

その気付きだけで花は咲く

大きな花を咲かせましょう

合掌
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